静かな一期に、素晴らしい殉職者の模範を吟味なさってください。
ルチアーノ神父
央イタリアの山村が豪雪に孤立されるに反面、ミラノ地方は晴天!
静かな一期には、どうぞ添付の手紙をご覧にたってください。ルチアーノ神父
Desio, 2015年 2月 2日
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛がない」(ヨハネ15、13)。
1997年に受洗し、日本基督団田園調布教会信徒となられた、ジャーナリスト後藤健二さんはイスラム国の人質になった友人湯川遥菜さんを救うために、三人の女の子と妻を日本に置いて致命的な旅に立ちました。そして、イエス様の福音の通り、友と運命を一つにして命を捧げました。インタネットのWikipediaに後藤健二さんの「人物の遍歴」を調べてみたところ、本当に感激いたしました。正に、キリストの心を自分の心として人類の平和のために働いた福音の証人でした。Wikipediaからの抜粋文を添付しましたので、ご覧ください。
来る8日(日)11時10分のミサにおいて(DesioのVangelo e Zen)後藤健二さんと湯川遥菜 さんを初め、自由権と平和のために命を捧げたすべての「殉職者」の平安を祈りましょう。そして、彼らの血まみれの模範を忘れず、一人ひとりが出来る限り平和の道を開くために努めましょう。
追加文
一月31日にイタリア国新大統領が選出されました。Sicilia出身のSergio Mattarellaです。彼の兄PiersantiがSicilia州の州大統領に当選したとき、Mafia組織に徹底的に抵抗しました。そのために、1980年にMafiaから暗殺されました。以下の写真は新大統領が兄の遺体を抱き上げにかけった情景。
新大統領は謙遜方で、熱心なカトリック信者です。選出された明くる日(日)通常どうり近所の教会に参って皆と交じりながらミサに預かりました。隣の人々が新大統領に気づいたのは、ミサが終って教会を出るときでした。驚いた信者とシスター達が教会の入り口で新大統領と懇談。。。新大統領は今日まで小型で四人乗りの車Panda を乗っていましたが、今後も庶民的な姿を保ち、すべてのイタリア人に親しまれるように祈ります。(私の車も小型・四人乗りのPandaで、新大統領と同格!!!!)。
以下はWIKIPEDIAより
人物・来歴
宮城県仙台市で末っ子として生まれる[1]。法政大学第二高等学校を経て、1991年に法政大学社会学部を卒業[2]。東京放送系のテレビ番組制作会社を経て、1996年に映像通信会社インデペンデント・プレスを設立。アフリカや中東などの紛争地帯の取材に携わる。1997年に受洗し日本基督教団田園調布教会信徒となる。2006年、紛争地域の子供を取材した『ダイヤモンドより平和がほしい』で、第53回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞[3]。2011年の東日本大震災では、被災地の石巻市や気仙沼市で日本ユニセフ協会の記録員を務めた[4][5]。中東での取材中でアル=ヌスラ戦線に拘束されたものの、1日で解放された[6]。2014年10月に妻が夫婦の2人目の子供となる女子を出産[7][8]。前妻との間にも一女を、もうけている[8]。2014年10月後期~11月前期にイスラム国に拘束された末に2015年1月~2月1日の間に殺害されたと見られている。(詳しくは下記を参照)
イスラーム国による拘束
詳細は「イスラム国日本人拘束事件」を参照
2014年8月に「イスラーム国に拘束された知人(A)を救出するために中東に向かう」と家族に告げ、10月22日頃に日本を出国した[9]。10月24日にトルコ南部のキリスからシリアに入国し[10]、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された[11]。10月25日にイスラーム国への入国の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し[12]、シリア北部のアレッポ県から別のシリア人ガイドと共にイスラーム国の支配地域へと入った[10]。帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった[13]。
2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった[14]。この数日後にイスラーム国の関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた[14]。2015年1月20日になり、イスラーム国が日本国民と日本政府に向けたビデオにAと共に人質として登場し、ジハードのジョンとして知られるISISメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた[13]。 1月23日、母親が記者会見を行ったが[15]、夫曰く精神的に混乱状態[16] だったため、原子力エネルギーに関する意見など、配布された声明文とは直接関係のない発言[17][18]をする面も見られた。 1月24日午後11時に殺害されたAの写真を掲げる動画がインターネット上に流れ、後藤とされる声(英語)でAを殺害したという声明が出された[19]。 また、同声明の中には2005年にヨルダンの首都アンマンで発生した爆弾テロ事件(2005年アンマン自爆テロ)の実行犯として収監中のサジダ・リシャウィの釈放を要求するものが含まれていた[20]。
2月1日午前5時03分(日本時間)にイスラーム
殉職者兄の遺体を抱き上げる新大統領Sergio Mattarella
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